感謝

感謝。ありがとう。
良い言葉だと思う。
・・・けど、ワタシは最近この言葉が嫌いだ。
感謝の対象が会社になると。



ワタシの会社は、良い会社である。
本当にそう思う。安心して働ける。安定しているかどうかは、営業マンの自分の腕にかかっている部分も少なからずあるのでそれはわからない。
けど、安心して働ける。



社長も、社員に感謝しておりそれがよくわかる。
毎年2回お歳暮とお中元を全社員に送るし、年賀状も来る。
業績が良ければ社員旅行もあるし、業績が悪くてもボーナスがある。
しかも、同業種においては明らかに給与も高い。
営業マンなら辞めたいと思う人が本当に少ない。
(事務員は給与の割に激務なので辞める人が多いが)
結果、我々社員側も社長に「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」と言っている。




それはそれで良い。
会社内も良い雰囲気だと思う。
実際に、営業マンのモチベーションも高く、斜陽産業で同業者が次々と廃業していく中、業績は伸びている。




・・・けど、会社に対して感謝するのはどうも好きじゃない。
最近そう思う。
自分が、餌をもらって飼い主に愛想振りまく犬のような気がするのだ。



ワタシは営業マンとしてそれなりの数字を出している。
給料はその結果である。決して高いとも低いとも思わない。
それに対して「ボーナスありがとうございます」と言う必要があるだろうか?(我が社はみんながそれを社長にメールする空気がある)
自分の給与が、実際の働きより高い場合は、感謝すべきと思う。
けど、そんなお人よしの会社は無い。



何のために会社に感謝するのだろうか?
雇ってくれているからか?
給料をくれるからか?
成長の機会を与えてくれているからか?


どんな理由にせよ、本人にプロ意識があるならやたらに会社へ感謝するのはへりくだり過ぎではないか?と思うのだ。
先行きの見えない不透明な時代(使い古された言葉であるが)に、まっとうに働ける会社はありがたい。
だからこそ、会社のために頑張り、会社のために尽くし、「ありがとうございます。」という。
それは、会社にとっては良い人間かもしれない。けど、無自覚のうちに自分で洗脳し、会社の奴隷になる事を認めているのではないか?




今の会社に勤めていても、飢え死にする事は無いと思うが、裕福になることもない。
そう、このまま勤めても金持ちにはなれないのだ。
いくら会社に感謝したところで、雇用の維持と給料の支払い以上の事はしない。
だから、このままではお金の心配からは一生解放されない。
将来への不安は抱えたままだ。



ワタシはどんな人生を歩みたいのか?
すくなくとも奴隷じゃないはずだ。