働く意義

なんのために働くのか?
誰もが考える悩みだと思う。





日本人の場合、最近は知らないけど、「お金のためです」とはっきり言うビジネスマンは少ないように思います。
少なくともワタシの周りの同僚やお客さん(日本人)ではまず聞かないです。
その代わり、自己実現のためとか、自分の成長のためなどと言う。


最近思う。本当だろうか??
確かに「金のためだ」というとなんとなく卑しい感じがする。


でも自己実現って、そもそもやりたいことなんかよくわからないからサラリーマンやっているわけで、実現したいものがはっきりしている人はかなり少ない。
自分の成長っていっても、成長した結果はいい給料なんだから、結局お金なのではないか?



ワタシはもっと素直になっていいのではないかと思う。
すなわち働く目的はお金であると。
たしかに、会社の方針や考え方が個人と一致するから安い給料でも働いている人が多くいることもわかる。
また、給料が高ければなんでもいいという考え方も違うと思う。


けど、「お金、お金」というのがなんか意地汚いというか、そう言うイメージがあるから「俺は金のために働いているんじゃない」と自分に言い訳して働いているのではないだろうか。
実際ワタシがそうだった。「お金のため」とは言わなかった。
けど、自分をごまかしているんじゃないかと最近気付いた。サラリーマンの環境を正当化するために。
ワタシは今、あくまで他人のために働いているのだ。
現実から目をそらしてはいけない。



たしかに、「仕事の目的は金だ」と言ってしまうのは寂しいものがある。
様々な分野の、本当のプロフェッショナルが単に金だけを目的に働いているわけではないだろう。
ワタシの好きな田坂広志氏の本の、「仕事の報酬とは何か」だって読んでいる。
たしかに、お金は重要な要素だけど、能力向上や成長、次の仕事という側面があるのは分かっている。



ただ、ワタシはサラリーマンなのだ。
雇われている限り限界がある。
ワタシはこのまま働いても金持ちにはなれない。一生お金に不安を持ち、苦労し続けるだろう。
それでも、「仕事は金のためじゃない。自己の成長のためだ」とかきれいごとでごまかし続けるのだろうか。
ワタシはお金の問題から目をそらすのを止めた。
雇われて仕事をしている以上、最重要はお金だ。
ただ、自分の貴重な時間の多くを割いているのだから、仕事から得られるものは最大限得るようにしないといけない。



仕事の最大の目的は金だ。
そして、それ以外の目的は独立するための勉強だ。
誰のためかと言えば、自分のためであり、家族のため。
決して、会社のためじゃないし、お客さんのためでも無い。




ワタシの考えはコロコロ変わるが、今はこれが正しいと思っている。

感謝

感謝。ありがとう。
良い言葉だと思う。
・・・けど、ワタシは最近この言葉が嫌いだ。
感謝の対象が会社になると。



ワタシの会社は、良い会社である。
本当にそう思う。安心して働ける。安定しているかどうかは、営業マンの自分の腕にかかっている部分も少なからずあるのでそれはわからない。
けど、安心して働ける。



社長も、社員に感謝しておりそれがよくわかる。
毎年2回お歳暮とお中元を全社員に送るし、年賀状も来る。
業績が良ければ社員旅行もあるし、業績が悪くてもボーナスがある。
しかも、同業種においては明らかに給与も高い。
営業マンなら辞めたいと思う人が本当に少ない。
(事務員は給与の割に激務なので辞める人が多いが)
結果、我々社員側も社長に「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」と言っている。




それはそれで良い。
会社内も良い雰囲気だと思う。
実際に、営業マンのモチベーションも高く、斜陽産業で同業者が次々と廃業していく中、業績は伸びている。




・・・けど、会社に対して感謝するのはどうも好きじゃない。
最近そう思う。
自分が、餌をもらって飼い主に愛想振りまく犬のような気がするのだ。



ワタシは営業マンとしてそれなりの数字を出している。
給料はその結果である。決して高いとも低いとも思わない。
それに対して「ボーナスありがとうございます」と言う必要があるだろうか?(我が社はみんながそれを社長にメールする空気がある)
自分の給与が、実際の働きより高い場合は、感謝すべきと思う。
けど、そんなお人よしの会社は無い。



何のために会社に感謝するのだろうか?
雇ってくれているからか?
給料をくれるからか?
成長の機会を与えてくれているからか?


どんな理由にせよ、本人にプロ意識があるならやたらに会社へ感謝するのはへりくだり過ぎではないか?と思うのだ。
先行きの見えない不透明な時代(使い古された言葉であるが)に、まっとうに働ける会社はありがたい。
だからこそ、会社のために頑張り、会社のために尽くし、「ありがとうございます。」という。
それは、会社にとっては良い人間かもしれない。けど、無自覚のうちに自分で洗脳し、会社の奴隷になる事を認めているのではないか?




今の会社に勤めていても、飢え死にする事は無いと思うが、裕福になることもない。
そう、このまま勤めても金持ちにはなれないのだ。
いくら会社に感謝したところで、雇用の維持と給料の支払い以上の事はしない。
だから、このままではお金の心配からは一生解放されない。
将来への不安は抱えたままだ。



ワタシはどんな人生を歩みたいのか?
すくなくとも奴隷じゃないはずだ。

花火と米

本日二つの記事が気になりました。


一つは、放射能が心配で取りやめになった花火大会
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110919-OYT1T00346.htm


もう一つは、福島産の米が初出荷との話。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011091800156



花火大会の中止については、概ね批判的なブログが多いように思います。
まーたしかに復興支援の名目が、「放射能が心配で・・・」と突然打ち上げ中止となれば嫌がらせのようなものでしょう。
ワタシもこの中止の決定は残念に思います。



ところが米については、取り上げるブログの数が少ないものの、なんとなく「本当に安全なのか?」という論調が多いように思います。
もちろんセシウムの検査をし、見つからなかったら出荷をするわけですが、「大丈夫か信じられない」という意見が多い。



ワタシが思うに、花火大会の中止に批判的な多くの人でも、福島産の米を買わないと思う。
当然、花火と米は次元が違う。一緒にしてはいけない。
けど、「花火ごときで放射能が拡散するわけ無いだろう。馬鹿が」と言っている多くは、自分が福島の米を食べるか?となった場合、いくら検査結果がOKでも「やっぱりちょっと・・・」となるのではないか。




ワタシの嫁は九州産の物しか買わないと言っている。
それを止めることはできません。
「ちょっと調べれば分かる」「考えれば分かる」と言っても、そんな面倒なことはしない。第一何を信じていいのか分からないのだから。
だからできることは避ける事。
先日、我が実家(千葉)から梨が送られてきたが、それすらも放射能を疑っていた。正直腹が立ったが・・・
いくら理屈を説いてもダメ。あくまで感情の話なのだから。
愛知の花火大会は、たぶんウチの嫁のような人がクレームを出したんだと思う。



我々は福島を東北を差別している。
でも、例えば京都は大丈夫、九州は大丈夫と思っていても、外国人からは「日本は放射能で危ない」と差別されている。(実際に外国人観光客は来ない)
どれも感情の話で、科学的根拠なんて無い。


でも、ワタシは自分優先で良いと思う。自分の理屈に合わない感情で動いても良いと思う。
誰を信じようと、結果に責任をとるのは自分なのだから。
けど、その行動が誰かを傷つけるなら良くないと思う。
日本に旅行に行かないと判断するのは勝手だが、「日本は危ないから行かない」と言う奴は毒だ。



花火大会の中止は、間違いなく福島の人を傷つける。
けど、福島の米を買わないのは個人の勝手だ。誰にも迷惑もかけないし、傷つけもしない。
そういう意味で、花火大会のクレームと中止の決定は罪があると思う。





・・・感情的に言えば、ワタシは中国の米より、福島の米の方がよっぽど食べたいが。

自戒

恥をしのんで書きます。



上海でぼったくりに会いました。
完全にワタシが油断していました。
中国語でしたが、声をかけられついていき、ビールを飲んで14万円。
いかがわしいサービスを受けたこともあり、弱みはありました。
もともとの請求金額は32万円。
怒鳴られ、押し倒され、それでも値切って14万円。



ワタシは今回3つ過ちを犯しました。
1.知らない人を信用してしまったこと。
2.甘い話を信じてしまったこと。
3.店を出たあと、店の情報を記録し忘れたこと。




以外に問題として大きいのが3番目。
ネットで調べると、結構ぼったくりの被害はあり、公安に届けて解決する例があるようです。けど、住所がさっぱりわからないので(途中タクシーで移動した)店を特定できず、文句を言う手段もありません。
結局泣き寝入り。。。




ワタシはきっと育ちがいいのでしょう。あまり人を疑ってかかることをしません。日本にも悪い人はたくさんいますが、ひどい目にあったことはありません。
そのため人に対する甘さがありました。
そして、ひどい目にあったことが無いから、もし遭遇した時どう対処すべきかも知りません。




ワタシは怖いおっちゃんとの交渉中、考えたことは「いくらまで値切れるか」この1点でした。
けど、ぼったくりのことを知っているなら、考えることは「この場をどう切り抜け、あとからどう取り返すか」ということになります。
そもそも起きてしまった事に対して、どれだけ「被害を少なくするか」と「どう取り返すか」だと、考え方が全く違います。
相手は詐欺みたいなもんですから、泣き寝入りは良くないです。



個人的に中国は悪いところだとは思っていません。
(たしかに色々ある国ですが。。。)
特に、「中国でやっていこう」と覚悟をもって来ているのですから、悪い面ばかり見ていても建設的な仕事はできません。いい部分も悪い部分も受け入れないといけません。
けど、ワタシは中国限らず、世の中の悪い面に目をつぶっていたように思います。だから、ひっかかるし、被害にあったところでどうしていいかわからない。





ワタシのこの危なっかしく、おめでたい性格を知っている嫁は、事の始終を話したところ「それで済んで良かったね」と。


高い授業料でしたが。
でも、めげませんよ。

ワタシの仕事に対する意欲は、波があるように思う。
やる気がものすごくあるときと、イマイチやる気が無い時と。
で、今はやる気が無い・・・。



中国にいると、物価差があるので一見良い暮らしをしているような錯覚に陥る。
例えば、ワタシの住んでいる家はかなりデカイ。
一人暮らしなのに150平米くらいはある。通勤3分で、家賃3万円。
まー都会では無いので、あまり面白くない所なのだが、悪くは無い。
こんな感じで、中国での生活は結構良い。
中国に出してくれた会社に感謝である。(ホントに)




・・・ところがだ。
やはりワタシはサラリーマンであることには変わらない。
頑張って働いたところでワタシが裕福になるわけではない。
今良い暮らしができているのはあくまで一時的な話。
いずれ日本に帰ったらまた働き蜂になる。


ワタシは小さいながらも一拠点の責任者であり、日中の行動は自由だ。
何をしようと勝手。結果さえ出せばよい。
そして良い流れが出来てきたと感じている。


けれども精神的にはあまり自由を感じていない。
やはりサラリーマンなのだ。
会社に尽くした分だけ、それに見合った給料はくれるでしょう。ワタシの会社は良い会社だ。本当に。
けれどもそれはしょせんサラリーマンのレベルでの給料であり、お金の面での不安は今後もなくならないだろうし、「雇われている」という精神的な縛りは解けることは無い。









実のところ、ワタシは仕事がしたくない事を肯定しようとしているのではない。
自分の思いを吐き出すことで、再度仕事へのやる気を取り戻したいと思っている。
なぜなら、責任者であるワタシはいくらでも堕落できるから。
勤務時間の8時間ずっと会社の仕事に集中できなくても、例えば6時間は会社の仕事に集中し、2時間は違うことに集中するでもいいと思っている。
けど、やる気の無い時は何もやる気が無い・・・
以前なら周りに人もいたから、やる気が無くとも何とか仕事はこなした。
ところが今は違う。やらなくても良い環境にある。
ワタシは多くの仕事を先延ばしにしている。なぜなら時間はあるから。
矛盾のようだが、やはり人間時間のある時の方が仕事を後回しにする。
これはイカン。堕ちてきている。




ワタシは『一人立ち宣言』をするのではないか?
こんな状態で一人立ちすれば、仕事も怠惰になり、結局サラリーマンに戻ることになるのは目に見えている。しかも転職すれば給料は下がる。
この会社で働いても今後の給料はだいたい見えている。
けど、給料のために働くのなら、工場にいるやる気のない中国人と同じではないか。



今の環境は自律さえできれば、勉強できる事はたくさんあるはず。
中国人のマネジメント
中国でのマーケティング
中国でのリスク管理
・・・


会社のために働いていると思わず、会社が与えてくれた環境で、自分の勉強をしよう。
よし。ちょっとやる気が出てきた。
今日も1日がんばろう。

ヒマ

ワタシはとてもヒマです。
仕事のある日中も。


と書くと何か閑職にでも追い込まれたような感じですが、まぁそういうわけではなく。
ワタシは今の中国の拠点を立ち直すべく来ております。
ただ、もともと大きな拠点では無いので、仕事量はまだまだ少ない。
やる事をやってしまえば待ちの状態になって、時間ができます。



ヒマと言ってもやることはやっており、現に我が拠点は良い方向に行っている。
それは数字でも表れているし、今抱えている案件が増えていることからもわかる。


・・・けど、やはり落ち着かないのだな〜
この状態。
これを貧乏性と言うのでしょうか。


我が社の日本の社員は今頃1分1秒を争うように働いている。
ワタシの知り合いで、周りの日系企業で働いている人たちも、休みが無いほど働いている。
決してそれが良いとは思わないのだけど、ワタシもそれに慣れてしまっているので、急に時間ができると不安になるのでございます。



「自分の仕事は自分で作れ」と日本なら言うでしょう。
ただ、ワタシはこのヒマな状態自体は悪いと思っておらず、このヒマの状態に対して焦ってしまう自分がよろしくないと感じています。
小さな拠点とは言え、拠点責任者なのだから大局的に物事を見て動かないといけません。
ヒマな状態が嫌だからと言って、やみくもに予定を入れるのが良いとは思いません。




「ヒマは嫌だ」という感情的な事に流されず、どっしり構えて自分の仕事について考えられるようになりたいものです。

安く作る

ワタシは中国で製造業相手の商売をしています。
お客さんは、日系企業が殆どですが、時々完全なローカル企業にも行きます。
・・・でやはり考え方の違いを痛感するわけでございます。



フツーの人が行くと、中国の工場はとても汚いですと感じるでしょう。
そこは、待ちの中を見ても分かる話なので、掃除などに関しての意識はやはり文化の違い同様結構あります。


ワタシがなかなかローカル企業に入り込めない理由として、価格と生産性の考え方の違いがあります。
中国の製造業は安く作ることには徹底しています。
日本の製造業は、効率よく作る事を追求します。


例えば、1本500円のドリルがあったとします。(ワタシは工具屋です)
これで加工できる穴は1000穴。
1本5000円のドリルがあり、これで加工できる穴は5000穴。そのかわり加工スピードは半分になるとしましょう。


穴一つあたりの単価は、0.5円と、1円。
そこで考えると500円のドリルの方がお得になります。


ところが、「たくさん加工できる方がたくさんモノが作れるから儲かるでしょ?」と考える会社は、5000円のドリルを買います。
けど、この考え方ができないんですよね〜
(もちろん生産製品の単価にもよりますが)



はっきり言って、安く作ろうとする執念に関しては日本人は勝てません。
最近、元高や人件費の高騰などで中国の製造業は大変です。
そうなったらどうするか?
個人的な感覚では、違う商売を始めるか、安い国、地域で作るかという流れになるのではないでしょうか?


「効率を上げてトータルコストを下げる」というのはどうも考え方が合わないような気がします。



日本の製造業は、管理面(品質管理、製造管理)は中国と比較して明らかに優れています。
ここはまだ中国企業とは言っても、まだ時間がかかるでしょう。
日本のような感覚で製造業も仕事をしてくれればワタシも仕事がしやすいのですが、そうなったら本当に日本の製造業にとって脅威になるでしょうね・・・